日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年8月7日の礼拝メッセージから

信じて祈るなら

マタイ21章18〜22節


 イエス様たち一行が道を歩いていた時、道ばたにいちじくの木が生えているのを見つけました。パレスチナ地方は非常に乾燥していますから、みずみずしいいちじくの果実というのは、本当に魅力的な果実だったのだと思います。お腹が空いていたイエス様たちは、いちじくが食べたいと思い、実が生っていないか探しました。でも、その木には葉っぱばかりで、いちじくの実は生っていませんでした。弟子たちもがっかりしてしまったのではないかと思います。すると、イエス様はこのように言われました。「今から後いつまでも、お前には実がならないように」(21:19)。すると、いちじくの木はたちまち枯れてしまったのです。弟子たちはそれを見て、驚きました。と同時に、「そんなことまでするんですか」という思いだったのではないかと思います。
 本日の箇所を読んでどうでしょう。いちじくの実を実らせなかっただけで、枯らされてしまうなんて可哀想じゃないか?と思う人もいるかも知れません。しかし、本日の箇所というのはイエス様がいちじくをどうしても食べたくて、食べられなかったから、いちじくの木を呪ったという単純な話ではないのだと思います。旧約聖書にはこのような御言葉があります。
「悲しいかな/わたしは夏の果物を集める者のように/ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや食べられるぶどうの実はなく/わたしの好む初なりのいちじくもない。主の慈しみに生きる人はこの国から滅び/人々の中に正しい人はいなくなった。」(ミカ7:1-2)
ここに「いちじく」という言葉が出てきます。ぶどうの実、初なりのいちじくを求めても見つけられずに悲しんでいる姿にたとえて、神様からのメッセージを語っているのです。いちじくとは、イスラエルの人々のことでした。神様は、人々の心を求めているのですが、神様の願うような形で人々が応答していない・・・。その様子を語っているのです。この旧約聖書の御言葉と、本日の箇所のイエス様の姿を重ねて考えていく時、そこから聞こえてくる神様のメッセージがあるのではないでしょうか。この「実のないいちじくの木」というのは、まさにイスラエルの人々の姿を現していたのです。
 このようにイエス様は、「実のないいちじくの木」が枯れていく姿を通して、イスラエルの民への警告のメッセージを語りました。しかし、本日の箇所を読みながら思うのは、イエス様はここで単に警告のメッセージを語って終わりないではいうことです。この出来事を通して、警告を語りつつ、一方では希望のメッセージをも語っているのです。いちじくの木を通し、イスラエルの人々の姿の現状や行く末を警告しながら同時に、今一度、信じること、そして、祈ることの限りない可能性と力とを語っておられるのです。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。」(21:21)とあるように、信じること、祈ることに立ち帰るよう、招いているのだということを覚えていたいと思います。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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