日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年8月28日の礼拝メッセージから

主人を拒む人々

マタイ21章33〜41節


 本日の箇所には、ある農園での出来事が記されています。ある家の主人がぶどう園を作りました。その後、農園を農夫たちに託して旅に出ました。収穫の時期が近づいたので、その収穫を受け取るために使いのしもべを送りました。ところが、農夫たちは使いの僕たちを捕まえ、袋だたきにしたり、石で打ち殺してしまったというのです。本当にとんでもない話です。彼らには彼らなりの考えや言い分があったかも知れません。しかし、それは全く筋の通らない話でした。この農園はいったい誰のものだったのでしょうか。彼らのものではありませんでした。しかし、彼らは自分たちの考えに固執したまま、暴走していくのです。
 本日の箇所で語られているぶどう園のたとえというのは、単なる「おはなし」ではありませんでした。イスラエルの民がこれまでたどって来た歴史そのものでした。そして、そのような歴史というのは、イスラエルの民だけではなくて、私たち人間すべての有様が問われているような歴史でもあるのだと思うのです。この農夫たちは何で、こんな愚かなことをしでかしていったのでしょうか。
 まず思うのは、農夫たちの押さえきれない欲望と、その欲望をとどめることができない傲慢な心です。彼らはただの使用人に過ぎないのに、いつの間にか、自分たちがぶどう園のあるじのような気になっていました。そんな彼らの傲慢な心が、こんな振る舞いに向かわせていったのではないかと思います。
 次に思うのは、彼らの視野の狭さです。農夫たちは、自分たちがぶどう園のあるじになれると勘違いしていました。しかし、それというのは、あくまで、狭いやぐらに囲まれたぶどう園の中にいる自分たちの間だけで通じるというか、まかり通る考えでした。そんな視野の狭さが、こんな愚かな振る舞いに向かわせていったのではないかと思います。
三つ目に思うのは、彼らがこれまでの経緯、歴史をきちんと学んでいないことです。このぶどう園が誰のものであるのか…。自分たちが何故今、このぶどう園で働くことができているのか…。そういった、これまでの経緯、歴史をきちんと学んでいないのです。
 最後にもう一つ思うのは、ノーと言えないぶどう園の様子です。農夫たちは、ぶどう園の主人から送られてきた僕たちを袋だたきにしたり、石で打ち殺しました。しかし、はたして、農夫たちは、みんながみんな同じ思いだったのでしょうか。中には「これで本当にいいの?ちょっとおかしいんじゃないの。自分たちのしていることは間違っているんじゃないの」と思う人だっていたのではないかと思います。しかし、おそらくそんなこと、とても言える雰囲気ではなかったのではないでしょうか。
 そんなふうに、暴走していく農夫たちの姿を見ながら、彼らの思いについて考えました。そして、彼らの姿というのは、そのまま、現在の私たちにも問われていることなんじゃないだろうかと思いました。私たちも農夫たちのような思いに陥っている時、私たちの歩みがとんでもない方向に向かってしまうということがあるのではないかと思うのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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