日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年9月4日の礼拝メッセージから

十字架と復活の不思議

マタイ21章42〜46節


 マタイ21:33-41には、ぶどう園と農夫のたとえが記されています。ある家の主人が、ぶどう園を作りました。その後、主人は、ぶどう園を農夫たちに託して旅に出かけました。ところが、農夫たちは主人にぶどう園の収穫を渡すことを拒んだのでした。農夫たちは「ぶどう園は俺たちのものだ」と主張しました。そして、主人の使いを捕らえ、袋叩きにし、殺してしまったというのです。先週、このたとえを一緒に読んできましたが、改めて、たとえを読む時、舞台となっている場所がぶどう園であることに複雑な思いにさせられます。聖書において、ぶどうは、神様からの祝福の象徴、喜びの象徴です。ぶどう園というのは、本来、祝福の満ち溢れた場所でした。しかし、本日のたとえから感じるのは、ぶどうから放たれる祝福の香りではありません。せっかく祝福と喜びで溢れていたはずの場所が、いつの間にか、罪の血潮の滴る悲しみと痛みの場所に変わってしまっているのです。
 私たちの現実にも、そういうことがあるのではないでしょうか。本来、祝福と喜びで溢れていたはずのものが、そうとは思えない状況になってしまう…。私たちの現実の世界を見渡すと、そういう状況を見せられることが時々にあるように思います。たとえば、身近な「ともだち」という関係でもそうだと思います。「ともだち」は本来、私たちにとって素晴らしく、喜ばしいものです。しかし、そのようなものだったはずなのに、いつの間にか、その関係が喜びでなくなってしまうことがあります。喧嘩したり、関係がギクシャクしたりして、その関係に傷ついたり、悩まされたりすることがあるのではないでしょうか。同様のことが「親子」という関係や「夫婦」という関係にもあるのだと思うのです。本来、祝福であるはずのものが、祝福でなくなってしまってしまう・・・。それは、まさに私たちがしばしば目の当たりにする現実なのだと思います。
 イエス様はここで、ぐちゃぐちゃになってしまった農園について「ぶどう園の主人はどうするだろうか」(21:40)と人々に問いかけました。この問いかけが心に迫ります。私たちはどうでしょう。そのように関係がおかしくなってしまった状況の中で何ができるでしょうか。私を含め、ぐちゃぐちゃになってしまった状況でなす術もなく、「この状況をどうすればいいんだろう」と悩んでいたり、どうにもできずにもがいている人は多いのでないかと思います。
 本日の御言葉から何より心に留まることがあります。それは、イエス様が人々に「ぶどう園の主人はどうするだろうか」と問いかけた後、続けて語った言葉です。それが、「家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった」(21:42)という言葉でした。この御言葉は、イエス・キリストの十字架と復活を表わす御言葉です。イエス様はまさに「ぶどう園の現実」に生きる私たちのもとに来られ、十字架と復活の御業をなされました。本来、祝福だった場所が私たちの罪ゆえにぐちゃぐちゃになってしまっている…。そんなニッチもサッチもいかない状況になってしまっている私たちのもとに来られ、その問題一切を引き受けられ、十字架に向かわれたのです。この十字架と復活に私たちは救いの道、希望の道を見いだすのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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