日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年9月18日の礼拝メッセージから

天国の景色

マタイ22章1〜14節


 ある国で、王様の息子が結婚することになりました。王様は、王子のために国を挙げての盛大な結婚式を準備したのですが、婚宴に招こうとした人たちは、皆、出席を断りました。せっかく王子の結婚式を皆で喜ぼうと思って祝宴を準備したのに、誰も来ないことに、王様は、ショックだったと思います。本当にとんでもない話ですが、何より心痛いのは、これが天の国のたとえとして語られていることです。ここで言われている王様とは、神様のことで、婚宴に招かれている人々は、私たちのことです。私たちは、そのように天の国の祝宴に招かれているにも関わらず、その招きを拒んでしまっている…。イエス様は、そのようにおっしゃっているのです。
本日の箇所を読みながら、心に残ったのが、「人々はそれを無視し」(22:5)という言葉です。この「無視し」という言葉を聖書で調べてみたところ、ギリシア語で(アメレオー)という言葉が使われていました。この言葉は「世話をする」という意味のギリシア語の否定形で「なおざりにする」とか、「軽んじる」という意味があります。他の聖書の箇所では、「恵みの賜物を軽んじる」というところで使われていたり(Tテモテ4:14)、「救いに対してむとんちゃくで」というところで使われています(ヘブライ2:3)。
 これらの御言葉を読む時、本日のたとえで、王子の婚宴に行かなかった人々の心を読み取ることができるのではないでしょうか。22:5には、人々が畑仕事だったり、商売だったりを理由に、婚宴に出席することを断る人々の様子が記されています。しかし、それが本当の理由だったんだろうかと思う時、必ずしもそうじゃなかったんだろうなと思うのです。彼らが婚宴に行かなかったのは、忙しいことが本当の理由ではなくて、彼らの中にあった「アメレオー」の思いが問題だったのです。王様からの招きについて、王子の婚礼について、むとんちゃくに考えていた…。どうでもいいと思っていた…。軽んじていた…。そういう思いが、王様の招きに対して、応えることがなかった一番の理由だったのだと思うのです。
 そして、そのことは、私たちにも問われているのではないでしょうか。私たちの中に、このアメレオーという思いがないでしょうか。そういう思いがある時、私たちは神様の招きに心が向かなくなってしまうことがあるかも知れないと思うのです。
 特に今の時代、そのようなことが問われているのではないでしょうか。私たちの周りは、本当に慌ただしく、やらなければならないことがたくさんあります。そういう状況にあって、私たちの中で「どうでもいい」と思っているものがあるなら、そのようなものというのは、私たちの心からどんどん脇に追いやられてしまうのではないでしょうか。神様からの招きもそうなのだと思います。私たちが神様の招きに対して、どうでもいいと思っているなら、日々の生活の慌ただしさの中で、私たちの中で神様の招きはどんどん遠くのものになってしまうのだと思うのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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