日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年9月25日の礼拝メッセージから

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に

マタイ22章15〜22節


本日の箇所は、イエス様に対して、ファリサイ派の人々とヘロデ派の人々が質問をしたという箇所です。彼らはイエス様に「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」(22:17)と尋ねました。彼らはそのように質問したのですが、心からイエス様に教えを請いかったわけではありません。イエス様がこの質問にどう答えるかで、イエス様を陥れようと考えていたのです。イエス様がもし、「税金を納めるのは、律法に適っている」と答えたなら、「イエスはローマ帝国に対して税金を納めることを認めた。もはやローマ帝国の手先だ」と言ってイエス様を非難しようと考えていました。一方、イエス様が「税金を納めるのは、律法に適っていない」と答えたなら、「イエスはローマ帝国に逆らって税金を納めることを拒んだ」と訴えたようとしていたのです。
 イエス様は、彼らの質問に対して、「税金に納めるお金を見せなさい」(22:19)と言われました。そして、「これは、だれの肖像と銘か」と尋ねました。当然、そう言われた彼らは、持っていた硬貨を見たのだと思います。硬貨を見た時、彼らが向き合わされたのは、自分たちがローマ帝国の占領下に置かれているという現実でした。自分たちが外国の支配者の肖像と銘の刻まれた硬貨を使用しているという現実…。しかも、そこには、皇帝を神と謳われている現実がありました。イエス様の質問に対して、彼らは「皇帝のものです」(22:21)と答えました。たった一言ではありますが、この一言を語った時、彼らはそれぞれ色々な複雑な思いが湧き上がってきたのではないかと思うのです。
 本日の質問は、そもそも、イエス様を陥れるための質問でした。しかし、その質問自体は、大切なテーマを含んだ問いだったのだと思います。この質問というのは、言い方を換えるなら、「私たちの周りにある現実の諸問題を信仰の事柄に照らし合わせた時、どう受け止めればいいのか」という質問だったのだと思います。信仰者として、まっすぐに神様に応えて歩みたいと思っても、そうすることができない色々な現実があります。そんな中、悩んだり、葛藤させられることがあるのではないでしょうか。「このことを信仰の事柄として、自分はどう受け止めたらいいんだろうか」そんなことで悩んだりすることがあります。当時のイスラエルの人々にとってみれば、ローマ皇帝に税金を納めるということがそういうことでした。私たちはそんな時、最終的に何を選び取るのでしょうか。本日のイエス様とファリサイ派の人々やヘロデ派の人々のやり取りから、そのことに対する大事なヒントを聞くことができるのではないかと思います。イエス様は、イエス様とファリサイ派の人々やヘロデ派の人々に対して、「税金に納めるお金を見せなさい」と言われました。彼らにとって硬貨を見るというのは、彼らが立たされている現実に真っすぐ向き合うことでした。このことは私たちにも大切なメッセージを語っているのではないでしょうか。私たちが目の前の問題を信仰の問題に照らし合わせて、どう受け止めればいいのか悩む時、まず大切にしていきたいのは、目の前の現実そのものときちんと向き合うことです。そこから見えてくる大事なことがあるのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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