日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年10月9日の礼拝メッセージから

復活の信仰

マタイ22章23〜33節


 本日の箇所に登場するのは、サドカイ派と言われる人たちです。彼らは復活を否定していました。そんな彼らがイエス様に復活について尋ねてきたのです。彼らが質問で取りあげたのは、申命記25:5-6の御言葉でした。これはレヴィラート婚と言われるもので、一つの家系が絶えることがないようにするための戒めでした。この戒めにあるように、兄弟同士で一人の女性を妻にしたなら、復活の時、その妻はいったい誰のものになるのかということを訴えてきたのです。復活があるなら、現実的にこんなややこしい問題が起こってしまうじゃないか、だから、復活なんて、ナンセンスだ、と訴えたのでした。これに対して、イエス様は「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしている」(22:29)と答えました。サドカイ派の人々が、復活を現実問題に照らして考えた時、そんなものナンセンスだと主張したのに対し、イエス様は、復活がナンセンスではなくて、サドカイ派の人々が言い出している質問自体が的外れなんだ、ナンセンスだとおっしゃったのです。
本日の箇所を読みながら、心に残ったのは、イエス様が言われた「あなたがたは聖書も神の力を知らない」という言葉です。この言葉を読みながら、「聖書を知るって、そもそもどういうことなんだろう」と思いました。それは、単に知識として、聖書を知るということではないのだと思います。サドカイ派の人たちは、聖書を読んでいました。復活についての記述も、知識としては知っていました。でも、そんな彼らに対して、「あなたがたは聖書も神の力を知らない」と言われたのです。
以前、ある先生が「私たちには信じることによって、分かることがあるんだ」と話していました。もともとアウグスティヌスが語った言葉だそうですが、私たちには、信じることによって分かる聖書の世界があるのです。
 もう一つ、本日の箇所を読みながら思い出したのは、私が神学生だった頃、ある先輩の神学生から言われた言葉です。「聖書の御言葉は、頭で分かろうとするものではなくて、御言葉を聞いて具体的に応えることが大切だ。頭で分かろうとしたって、分からないし、分かったと思うなら、私たちは傲慢になってしまう。けれど、御言葉を聞いて具体的に応えようとしていく時、御言葉に応えられない自分自身を見せられ、心砕かれる。でもその一方で具体的に御言葉に従うことを通して、御言葉が真実であること、御言葉を通して、神様が今も具体的に生きて働いておられるということを知らされていくんだ。」
 本日の箇所で「あなたがたは聖書も神の力を知らない」という言葉を読む時、この二つの言葉を思い出します。サドカイ派の人たちは何より「聖書を信じる」ということが問われていたのではないでしょうか。さらに加えるなら、具体的にその聖書の御言葉に応答する、御言葉に生きるということも問われていたのではないかと思います。その時、彼らは単なる知識としてだけでなくて、本当の意味で、聖書を知ることができ、神の力を知ることができたのではないかと思うのです。

                         (鈴木牧人)
 
                

 

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