日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年11月20日の礼拝メッセージから

天の国を閉ざす者

マタイ23章13-15節


 イエス様は、本日の箇所で、律法学者たちとファリサイ派の人々への批判として、彼らは「人々の前で天の国を閉ざす」(23:13)とお話になりました。加えて、その天の国に「自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」(23:13)とも言われたのでした。これはどういうことでしょう。「自分が入らない」だけではありません。「入ろうとする人をも入らせない」のです。私は、そんなふうにイエス様に指摘されている律法学者たちとファリサイ派の人々の様子について考えました。そして、思い浮かべたのは、こんな情景でした。人々がせっかく天の国に心を開き、受け入れようとしているにも関わらず、そんな人々の思いや考えを聞こうともせず、自分たちの考えを相手に頭ごなしに押し付けて、「これは違うでしょ。ダメでしょ!」と言って、その人の前で天の国をピシャッと閉ざしてしまう…。そんな律法学者たちとファリサイ派の人々の様子でした。そして、実際、彼らはそんなふうに人々に接してきたのだろうと思うのです。たとえば、ヨハネ9章には、イエス様が一人の生まれつき目の見えない人を癒されたという記述が記されています。そのことを聞きつけたファリサイ派の人々は、目が見えるようになった人を事情聴取しました。ファリサイ派の人々は、目が見えるようになった人に対して「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか」(ヨハネ9:17)と尋ねました。これに対して、この人は「あの方は預言者です」(ヨハネ9:17)と答えました。目が見えるようになった人は、実際にイエス様に取り扱われた経験を通して、神様から遣わされた預言者でなければ、こんなことできるはずないと信じていました。しかし、ファリサイ派の人々は、この人の言葉に耳を傾けようとはしませんでした。それどころか、「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていた」(9:22)というのです。ここには、人々がせっかく福音に心を開き、神の国を受け入れようとしているのに、そんな人々自身の思いや考えを聞こうともせず、自分たちの考えを頭ごなしに押し付け、その人たちの前で天の国を閉ざそうとしている…。そんなファリサイ派の人々の姿があるのだと思います。
 そんな律法学者たちとファリサイ派の人々の姿を考えながら、改めて思わされたのは、イエス様が、私たちにもたらしてくださっている福音の世界というのは、それとは全く違う世界なんだなということでした。その人自身の思いや考えを無視して、頭ごなしに押し付けるのではなくて、その人、その人の声を聞こうする…。それが、イエス様が私たちにもたらそうとしてくださった福音の世界でした。聖書を読みますと、イエス様は出会った一人一人に対して、「何をしてほしいのか」(マタイ20:22)とお聞きになった様子が記されています。そのようにイエス様は一人一人の声を聞き、その人の思い、考え、選び取りを大切にしようとされたのでした。そして、それは私たちが天の国に入るということにおいてもそうです。私たちがイエス・キリストを主と信じ、神の子とされ、天の国に入れられていく…。それは、何より、私たち自身が、自分自身の信仰で選び取っていくものなのです。

                        (鈴木牧人)
 
                

 

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