日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年12月4日の礼拝メッセージから

まず、杯の内側を

マタイ23章25-28節


 本日の箇所で、イエス様は「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。」(23:25)と言われました。「あなたたちはそと目には立派かも知れないが、それは見た目だけで、本当は全然違うじゃないか。」イエス様はそのように言われたのです。加えて、「ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」(23:26)とも言われました。本日の御言葉を読みながら、「まず、杯の内側を」という言葉が心に留まりました。「まず」というたった二文字の言葉が、心に留まったのです。この言葉は、ギリシア語では、プロートスという言葉が使われています。聖書を調べてみますと、新約聖書の中でも、マタイによる福音書で一番使われている言葉でした。しかも、非常に印象的な場面で使われているのです。たとえば、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(6:33)という箇所で使われていたりします。これらの「まず」という言葉は、大変重要な意味をもっていました。イエス様は「まず」という言葉を通して、私たちが何を一番にしなければならないのか、教えられたのでした。このことは、私たちがよくよく心しておくべきメッセージなのだと思います。私たちは実際の歩みの中で、イエス様が言われたことを後回しにしてしまうことが多いのではないでしょうか。マタイ6:33の御言葉でも、神の国と神の義よりも、日々の様々なわずらいごとに心奪われている私たちがいるのではないかと思うのです。
 そして、それというのは、本日の箇所も同じだと思います。イエス様は本日の箇所で、「まず、杯の内側をきれいにせよ」と言われました。しかし、私たち自身の歩みを顧みる時、自分自身の内側をまずきれいにしようとするよりも、周りのことばかり気にしてしまっていたり、体裁を繕うことの方を優先してしまうことが多いのではないかと思うのです。そして、それというのは、私たちにばかり原因があるわけではないのだとも思います。私たちが、この世の中に生きていれば、必然的にそうなってしまうのではないでしょうか。私たちの周りを取り囲む世界は、多くの場合、私たちの心の内側を本当の意味で見てくれようとしていないのではないかと思います。それよりも、私たちのそと見がどうであるのかということばかり見ているのではないでしょうか。私たちが心の中で、本当は何を考え、どんなことを思い、何に悩んでいるのか…。そんなこと、知ろうともしていないですし、分かってくれようともしてくれていないのではないかと思うのです。そういう世の中に生きる中で、私たちは、どうしても、私たち自身の内側のことが後回しになって、それよりも外見を繕おうとしてしまうことがあるのではないかと思います。そんな中、本日の「まず、杯の内側を」というイエス様のメッセージは、私たちにとって福音のメッセージなのだと思います。本日のメッセージは直接的にはファリサイ派の人たちに対する批判の言葉です。しかし、ここには福音のメッセージがあるのです。私たちの周りは、私たちの表面的なことしか見ていないかも知れないが、イエス様はきちんと私たちの内側を見ておられる…。それは福音なのです。

                        (鈴木牧人)
 
                

 

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