日本バプテスト連盟  姪浜キリスト教会

2016年12月11日の礼拝メッセージから

きみもそこにいたのか

マタイ23章29-36節


「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。」(23:29-30)
本日の箇所でイエス様は、律法学者たちとファリサイ派の人々に対して、「あなたたち偽善者は不幸だ」と批判しました。彼らが「自分たちがもし、あの時代に生きていれば、先祖たちのようなことはしない。先祖たちのように、預言者たちを殺し、正しい人たちのことを迫害するような人たちの側につくことなんかない」と主張していたことに対し、イエス様は「それは本当?むしろ、あの先祖たちの姿こそ、あなたたち自身の姿なんじゃないの?」と問うたのです。
 本日の御言葉を読みながら、自分はどうだろうかと思わされました。自分は律法学者たちやファリサイ派の人々のように「もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう」と言えるだろうかと思ったのです。恥ずかしいですが、私にはとても言えません。私の中には、どうしようもない愚かさがありますし、迷いやすさがあります。弱さや臆病さもあります。そんな自分を思う時、そんなこと、とても言い切ることができないと思うのです。しかしながら、「それなら、じゃあ、あなたは預言者の血を流す側にはつくの?」と言われるなら、そうは言いたくないのです。自分の弱さも重々分かっているつもりですが、それでも思いとしては、主に従っていきたいという思いがあるのです。
 本日の御言葉を読みながら、23:30から「自分はどうだろうか」と考えさせられる時、そのような複雑な思いにさせられます。そんな中、23:30の御言葉というのは、私の信仰の歩みの最も深い部分で、今も問われ続けている問いであるように思うのです。そして、そのような問いを心に持つ中で、私は自分の内に、信仰の大切な指針を与えられるように思います。
 私の中で、先ほどの問いに立たされる中、大事な指針として与えられた御言葉があります。
「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」(ルカ16:10)
答えにならないもやもやとした思いを抱えながら、私の中で迫ってきた御言葉がこの御言葉でした。正直、いざという時、自分はどうするだろうということに対して、今も答えることはできません。しかしながら、そんな自分に何ができるだろうということを考える時、この御言葉が心に迫ってくるのです。いざという時に、自分がどうあるかは分からない…。けれど、とにかく、今、自分は目の前にしている小さな一つ一つのことでイエス様に従っていきたい…。そうすることが、いざという時に主を見上げていくことができるのではないか…。そのように思わされるのです。そのように答えの出ない問いを自分の中に持ち続けることで、自分が今立つべき、信仰の大切な指針を与えられるように思うのです。

                        (鈴木牧人)
 
                

 

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