日本は、1950年代までは、多くが大家族で家業を営んでいました。
商店、工場、農業、漁業。 ”お母さん”は重要な働き手でしたから、
子育てにかかりっきりにはなりません(なれません)でした。
子どもにとっては、祖父母がいて、兄弟姉妹がいて、
親戚のおじさんおばさんがいて、近所のおじさんおばさんがいました。
そして、子どもだけで遊ばせておいても安全な場所が、たくさんありました。
昔の写真には、よく赤ちゃんをおんぶして遊んでいる子ども達が見られます。
サザエさんは、タラちゃんに始終向き合っている様子は全くありません。
叔父さん叔母さんであるカツオくん、ワカメちゃん、
近所に住むイクラちゃんとよく遊び、人の中で育っているのです。
1960年代の高度成長期に、都市化が始まりました。
田舎から都市部に、人が集まって来ました。
○○団地に住むというのがステイタスだった時期もあります。
そのようにして、核家族化が進んで行きました。
今では、サラリーマンと専業主婦という形態はごく普通だと思われていますが、
日本ではこの時期に「初代専業主婦」が生まれたのです。
そうして、親類縁者、近所との付き合いも希薄になって、
「母子カプセル」「母子密室育児」が始まりました。
そして現代、1960年代以降に生まれた赤ちゃん、子どもが、
今、親になっています。
母子カプセルで育った人々は、自分の子どもを産んで初めて、
赤ちゃんと接することになりました。
子どもの発達段階を身近で見て育つこともなく、
子どもと共に過ごし共に育つという体験もなく、
子どものしつけと言えば、
自分が親から受けてきたしつけだけがモデルとなるのです。
今、子育て力の低下が言われますが、このような社会的背景があるとしたら、
子どもの発達や、しつけの仕方などを学ぶ機会は、
社会が提供しなければならないのではないかと思います。
自分の子どもを産んで初めて、子どもと接するママさんたち。
わからなくて当然。 困って当然。 泣きたくなることがあっても当然。
堂々と、子育てを学ぼう。子育ちを学ぼう。
MOTOHIRO
竸 基弘は1995年の阪神淡路大震災で他界した兄の名です。
妹の私が神戸へ遊びに行く度に、
大学、アルバイトをしている居酒屋、友人とのバレーボール・・
どこへでも連れて行って一緒に過ごしてくれる優しい兄でした。
誕生日には必ず電話をくれました。
兄は当時神戸大学院生で、ロボット研究をしていました。
震災の数か月前に開催された日本ロボット学会で研究成果を発表し、
恩師の先生と居酒屋で打ち上げをしていた時に、
将来の夢を目を輝かせながら語ったそうです。
「ドラえもん」のようなロボットを作りたいと。
「人の役に立つでしょう、そこがいいんです」と。
恩師の松野文俊先生は、当時は宇宙ロボットを研究していらっしゃいましたが、
兄の死をきっかけに、人の役に立つ、人を助けるレスキューロボットに
研究を転向なさいました。
先生はその後、NPO法人「国際レスキューシステム研究機構」の設立に携わり、
兄の名を冠した「竸基弘賞」を創設し、レスキューロボットやシステムの研究開発に
顕著な貢献のあった若手研究者・若手技術者の業績を表彰しています。
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