山鹿素行の思想
立花均
(帯より)現実生活に根ざした〈日用の学〉
朱子学を批判した『聖教要録』により、赤穂への流刑を余儀なくされた反骨の思想家。
武士道論の提唱者、日本主義者、復古主義者と
様々に呼ばれてきた山鹿素行の思想の本質を明らかにする。

2008.8.16
(序にかえて − 山鹿素行の人と著作:引用)
 山鹿素行(元和八〜貞享二年、1622〜1685)は、江戸時代初期の儒者、兵学者で、武士道論、復古の学、日本主義のそれぞれに於いて先駆的主張を成したことで知られている。
 奥州会津生まれ、六歳の時、父に従って江戸に出る。二十歳頃までの修学期に、儒学を林羅山に、兵学を小幡景憲と北条氏長に学ぶ。他に神道、和学なども広く修め、二十一歳の時に兵学者として独立する。山鹿流兵学を創始し、諸大名をはじめとする多くの門人を抱えた。
 素行が生まれたのは大坂夏の陣の七年後で、彼の生きた時代は当に泰平の確立期であった。そのような時代に、武士の存在根拠を新たに儒教道徳に求め、そこから武士のあるべき姿を「士道」として提唱したのが素行の武士道論である。
 また復古的主張を、伊藤仁斎とほぼ同時に、それぞれ独立して主張した。素行は若い頃より朱子学を信奉していたが、朱子学が説く形而上的工夫には、日用現実から遊離しているという違和感を持っていた。寛文二年(1662)四十一歳の時、『近思録』にある周濂渓の「無極にして太極」の文に改めて根本的な疑問を抱き、遂に形而上的工夫を否定し、日用現実についての工夫のみを行う学を「聖学」とする立場を確立する。彼はその立場から、特に朱子学の形而上的工夫を批判し、孔子の古に復すべき事を説いた。ただし素行は、朱子学を全面否定したわけではなく、朱子学が他方で説く日用現実についての工夫は高く評価し、その説を踏襲している。
 素行の主著は『山鹿語類』で、彼の武士道論はその「士道篇」において、また復古的主張はその「聖学篇」で詳しく展開されている。
 素行は、朱子学を批判し孔子への復古を唱える立場を世に問うため、『山鹿語類』「聖学篇」を要約した『聖教要録』を、寛文五年(1665)四十四歳の時に刊行する。門人たちは、朱子学を批判する書の刊行を危惧したが、素行は、聖人の道は私(わたくし)すべきでないとし、その反対を押し切って刊行した。しかし、この書の刊行は幕府の怒りに触れ、彼は翌年赤穂に配流される。その原因は、将軍家綱の補佐役で朱子学の信奉者であった保科正之が、この書の刊行を憤ったためだと考えられている。
 赤穂流謫中の寛文九年(1669)四十八歳の時、素行は、『中朝事実』を著し、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に、日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国であるとの日本主義を主張した。王朝の度々変わった漢土に対し、日本は天子の地位を侵すような不義不道の者がいなかったため皇統が一貫していると、その卓越性を強調している。
 しかし素行は、外国に対してはそのように朝廷の存在を以て日本の卓越性を説く一方、国内については武家が朝廷に代わって政治を担当することの必然性を説いている。彼は、皇統の歴史を論じた『中朝事実』と対の形で、武家の歴史を述べた『武家事紀』を四年後に著している。その立場は、朝廷が政治を怠り統治能力を失ったため武家が政治を担当するようになったとするものである。彼は終生、幕府に出仕することを念願していた。近代に入り、素行が他方で武家政治の必然性を説いた点は無視され、『中朝事実』だけが尊皇愛国の書として持て囃された。
 赤穂に流されて足かけ十年目の正月を迎えた素行は、配所で生涯を終えることを覚悟し、公にするつもりのない遺言状として自叙伝の『配所残筆』を著した。内容は、幼い頃より儒学、兵学、神道、和学を広く学び、兵学者としては既に青年期に一家を成していたこと。『聖教要録』の刊行が幕府の怒りに触れ赤穂への配流が兵学の師でもあった北条氏長から申し渡された際、予め死罪も覚悟し堂々と振る舞ったこと。以前は自分も外国崇拝に陥っていたが、日本こそ万国に卓越した国だと気づき『中朝事実』を著したこと。朱子学など後世の学が日用現実から遊離していることに不満を持っていたが、ある時それら諸学を排し孔子に立ち戻ればよいと気づき復古的主張をなすに至ったことなどが書かれている。『配所残筆』の成った半年後、彼は急に許されて江戸に帰ることとなった。
 江戸時代に素行は、兵学者としてのみ有名で、学派の形成もその分野に限られていた。しかし、近代に入り、井上哲次郎の『日本古学派之哲学』(明治35年、1902)によって、伊藤仁斎、荻生徂徠とともに古学派の代表者として広く紹介され、また日清日露の戦勝後の雰囲気の中で、武士道および日本主義の唱道者としてその名が喧伝されるようになった。
 本書では、素行の思想の内、特に彼が朱子学とどのように対決しながらその復古的主張を展開したか、またその主張の背景には彼自身の武士としてのどのような心構えが絡んでいたかについて検討する。











 先ず、山鹿素行の思想の最大の特徴として「日用の学」であることが示され、

   朱子学(形而上的な議論 + 現実的な議論) − 形而上的な議論 = 素行の学

であると解説されている。形而上を切り捨て、実用=形而下のみを対象としているという。これはアメリカの思想哲学である『プラグマティズム』に実に先駆けている。アメリカのプラグマティズムは19世紀発祥であるから、山鹿素行はそれに先駆ける事200年以上である。尚、こうした実践主義という点では、現代の日本では『危機管理のノウハウ』で高名な佐々淳行氏が好例であるように思う。氏の著書は自らの体験などを元に、実際的に書かれており、形而上的な著述はほぼ皆無であり、山鹿素行に言及している部分は無いが、「佐々成政の子孫」であると自負している点、武士道的な振る舞いに誇りを持っている点と併せて、山鹿流兵法、プラグマティズムなどと親和性があるように思える。

 そして”武士の職分”が探求され、日用=人一般に課せられた職分が規定され、現実的な日用の工夫のみから成る道徳の学が可能になった、としている。

 戦闘者である侍が、受動的であるべきという件は、今日の軍隊や警察にも通じるものがある。普段、訓練をしつつ待機し、いざ事が有れば即出動、というわけである。




 筆者は工学部出身で、思想哲学を本来は専門にはしていなかったそうであるが、それ故に実用、実践、社会の中の役割としての職分を中心とした山鹿素行の思想に親しみやすかったのだろうと思う。あとがきのところでは筆者が西洋哲学に感じた違和感が、山鹿素行が朱子学に感じた違和感とかさなっている様である。壮大な形而上学的な思想体系の胡散臭さ、非実用性に対し、山鹿素行のように形而上を捨て去った実用主義の思想体系は簡明で社会の役に立つものである。再度書くが、これは19世紀に起こったアメリカの実用主義「プラグマティズム」に先駆けている。
 日本の思想の中で、この実践主義、実用主義である山鹿素行の思想は重要なものであると思う。この実用主義が思想の健全性と現実性を担保すると考えるからである。現実と接地していない思想・哲学は現実から遊離し、危険だと思うからである。現実に接地して無矛盾性を確認することによってのみ、ともすれば形而上に遊離してしまいがちな思想哲学は検証され、淘汰されると思うのだ。無矛盾性を放棄したら、あとはもうどんなデタラメでもよくなってしまい、健全性を失ってしまう。そうした危険が、形而上哲学・思想の胡散臭さの大本であろうと思う。であるから、21世紀の日本に新たな思想を構想するとき、現実に接地した、山鹿素行の思想を一つの模範とすることが良いように思われるのだ。








序にかえて − 山鹿素行の人と著作

第T部 復古の学の特質
 第一章 復古の学の主張
  一 復古の学すなわち日用の学
  二 性心の工夫の排除
 第二章 朱子学の改造
  一 朱子学の一面を高く評価
  二 削除と踏襲
  三 性心の工夫の欠如
 第三章 素行の学の納得されにくさ
  一 学の進化発達に逆行 − 井上哲次郎の素行批判
  二 功利の学へのレベルダウン − 全体と大用

第U部 素行の道徳観
 第一章 武士の職分
  一 平和時における武士の職分
  二 職分主義
 第二章 人の職分としての日用
  一 ”人一般”にとっての已むを得ざる職分
  二 聖人論
  三 大用のみ
 第三章 武士としての心構え
  一 命に安んず − 務める対象の受動的限定
  二 戦闘者としての武士の心構え − 対処のタイミングの受動性
  三 受動的姿勢と活動性・活発性の重視

第V部 用の思想と理論体系
 第一章 統一的な理論体系を構成する概念
  一 ”理の哲学”と”用の思想”
  二 生々無息なる用
 第二章 人の本性についての理論
  一 朱子学における性善の要請
  二 朱子学における性善説の完成 − 本然の性と気質の性
  三 「生々無息なる用」という特性
  四 善悪を以て論ずべからず
  五 生々無息なる働きの跡と孟子・性善説の解釈
  六 生々無息なる働きのコントロール
  七 敬 − 形而上的な工夫の有無
 第三章 客観界の物についての理論
  一 朱子の「衆理を具う」の説
  二 朱子の格物致知論 − 分殊の理と究極的一理
  三 素行の格物致知論 − 分殊の理のみ
  四 用の条理、事の理
  五 物の用を全うする
  六 「衆理を備えず」の説
  七 人欲の抑制
  八 王陽明批判
  九 人による現実界での善の成立
















日本主義・日本思想の系譜(中途半端ながら一覧を試みる)
 ≒伝統主義、保守主義
  美術、芸能、建築、伝承なども勿論重要な要素だが、調べきれないので省略
記紀
 『古事記』、『日本書紀
 聖徳太子

 『源氏物語』、『万葉集

 『今昔物語

軍記物
 『将門記』、『陸奥話記』、『保元物語』、『平治物語』、『平家物語
 『義経記』、『承久記』、『太平記

北畠親房
 『神皇正統記

  ※能の奥義書『風姿花伝』なども重要であるが、芸能関連は冒頭の通り省略

 『甲陽軍鑑
太田牛一 『信長公記』『太閤さま軍記のうち

  ※士道とは異なるが、忍術書も挙げる:『萬川集海』、『正忍記』、『忍秘伝』

新井白石『折たく柴の木』(国体論に基づいた外交に言及しているらしい)

水戸学
 水戸光圀 『大日本史』
 藤田東湖 『弘道館述義』(”国体”)

崎門学(闇斎学)
 山崎闇斎 (人間の心「心神」=「天神」)★湯武放伐を否定(→万世一系の皇統の価値)
   『文会筆録』、『倭鑑』、『伊勢神宮儀式序』、『闢異』、『垂加文集』
   『神代巻風葉集』、『中臣祓風水草』
  門人(崎門学派)
   佐藤直方、浅見絅斎(主著『靖献遺言』)
   三宅尚斎、植田艮背、遊佐木斎
   渋川春海(保井算哲:天文学”八十八夜、二百十日”、理学)
   谷秦山『保建大記打聞』
   正親町公通、出雲路敬直
   ※崎門学派は数多いが、橋本左内、横井小楠らもその門下である。

儒学から武士道へ
 山鹿素行 『聖教要録』、『中朝事実』(日本は中国より優れた国として、日本を中朝とした)
        『配所残筆』、『武教本論』
        『武教全書』(武家の知るべき事を網羅し、武士道の百科全書というべき書)
         (平泉澄『先哲を仰ぐ』武教小學講話において、第一章「夙起夜寝」が最重要、と)
        『武家事紀』
        『山鹿語類』(「士道」利を去って義につく精神を説く。
         日用の学は形而上を避け、プラグマティズムに通じる実践の道徳の學)
        『謫居童問』
        ※山鹿流の系譜として吉田松陰、乃木大将らが知られる。

上杉鷹山(伝国の辞)

松尾芭蕉 『奥の細道

 ※『葉隠』(鍋島)は武士道の書とされるが、朱子学過ぎるだろうか。

国学
 国学の四大人(しうし)
  平田篤胤 (復古神道)『古史成文』、『古史徴』、『霊能真柱』、『古史伝』
    『仙境異聞』、『勝五郎再生記聞』
  荷田春満 『万葉集僻案抄』、『春葉集』、『創学校啓』
  賀茂真淵 『歌意考』、『万葉考』、『国意考』、『祝詞考』、『にひまなび』
    『文意考』、『五意考』、『冠辞考』、『神楽考』、『源氏物語新釈』
     塙保己一 『群書類従』
  本居宣長 (もののあはれ)『古事記伝』(∋『直毘霊』) 、『源氏物語玉の小櫛』、 『玉勝間』
    『玉くしげ

和算 関孝和 (『関孝和の数学』、『日本の数学』)

幕末から明治維新
 吉田松陰 『講孟余話』、『将及私言』、『幽囚録』、『回顧録』、『野山獄文稿』
   『丙辰幽室文稿』、『戌午幽室文稿』、『留魂録
   『士規七則』(武士道の大綱)
 緒方洪庵:蘭学塾「適々斎塾(適塾)」
  日本最初の病理学書『病学通論
  福澤諭吉(慶應義塾大学を創設)
  大鳥圭介、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲
  橋本左内(景岳)幕末において、長い射程を持つ日本の外交、戦略論を展開。『啓発録
 眞木和泉守 『紫灘遺稿』、『楠子論』
  (長州藩;幕末に没したが、明治新政府の政策の多大な影響)
 西郷隆盛 『西郷隆盛「南洲翁遺訓」』(現代語訳)=(『西郷南洲遺訓』)
 大久保利通
 勝海舟
 勤王の志士多数(本人の著書より寧ろ、後世に書かれた生き様などがよすがか)
  坂本竜馬(亀山社中→海援隊、船中八策)
  木戸孝允(桂小五郎)
  小松帯刀、伊藤博文、大村益次郎、山県有朋、梅田雲浜、後藤象二郎
  高杉晋作(奇兵隊)、吉田稔麿、久坂玄瑞(松下村塾の三秀)
  中岡慎太郎(陸援隊)
  来島又兵衛(遊撃隊)

明治
 明治天皇 『教育勅語』、『五ヶ条の御誓文』、『国威宣布の宸翰』、『軍人勅諭
 福沢諭吉 『福翁自伝』、『学問のすゝめ』、『帝室論・尊王論』、(”脱亜入欧”)
 乃木希典 『中朝事実(山鹿素行)』
 東郷平八郎

 ※新渡戸稲造の『武士道』は海外へ紹介する為のものであるので、いささか日本主義
  とは異なるように思う。だが、重要な書ではある。
 ※岡倉天心の『茶の本』、『東洋の理想』も同様に感じる。

大東亜戦争前後:国体論、皇国史観
 文部省 『国体の本義』、『臣民の道
 旧軍 『軍人勅諭』、『五省
 平泉澄 『中世に於ける精神生活』、『我が歴史観』、『中世に於ける社寺と社会の関係』
   『日本歴史物語』、『国史学の骨髄』、『武士道の復活』、『建武中興の本義』
   『忠と義』、『万物流転』、『伝統』、『菊池勤王史』、『天兵に敵なし』、『芭蕉の俤
   『名和世家』、『白山社の栞』、『山河あり(正・続・続々)』、『解説近世日本国民史』
   『父祖の足跡(正・続・続々・再続・三続)』、『寒林年譜(正・続)』、『寒林史筆』
   『革命と伝統』、『解説佳人之奇遇』、『明治の源流』
   『少年日本史』=『物語日本史』;英訳版『THE STORY OF JAPAN』
   『先哲を仰ぐ』、『楠公 - その忠烈と余香 - 』、『山彦』、『慕楠記』
   『日本の悲劇と理想』、『明治の光輝』、『悲劇縦走』、『家内の思い出』
   『首丘の人 大西郷』、『平泉博士史論抄』

 内閣総力戦研究所(残念ながら直接の資料は手に入らない)
  『日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹)
  ※日本史上の人物やその文学、軍記物、それに基づく思想を”情”とすれば、
   総力戦研究所の特に昭和16年の開戦シミュレーションは、「日本必敗」とソ連参戦
   をも予見しており、”理”と呼べる部分だろう。
   日本思想、日本主義が単なる情緒過多な精神主義に陥らない為にも、こうした合理
   主義、科学的な部分、或いはアメリカの実用主義(プラグマティズム)に学ぶべき点が
   あるように思う。プラグマティズムは、日本なら山鹿素行の唱える日用の学がずっと以
   前から存在するので、素行から持ってきても良いかも知れない。







戦後(完全に個人的な独断と偏見で)
  自衛隊 『服務の宣誓』、『自衛官の心がまえ

 堀栄三『大本営参謀の情報戦記
 伊藤貞利『中野学校の秘密戦』、小野田寛郎
 坂井三郎『大空のサムライ
 (※大東亜戦争や日清日露戦争で散った英霊全て、及びそれを記した戦記の全てを含む)

現代(完全に独断と偏見で)
 小室直樹 『日本国民に告ぐ』、『数学嫌いな人のための数学』、『痛快!憲法学
   『論理の方法』、『日本の敗因』、「人をつくる教育 国をつくる教育
 佐々淳行 『危機管理のノウハウ
   1.目黒警察署物語 2.東大落城 3.美人女優と前科七犯
   4.謎の独裁者・金正日 5.連合赤軍『あさま山荘』事件
   6.平時の指揮官・有事の指揮官 7.香港領事・佐々淳行
   8.わが上司・後藤田正晴 9.戦時少年 佐々淳行
   10.重大事件に学ぶ『危機管理』 11.危機の政治学
   後藤田正晴と十二人の総理たち もう鳴らない”ゴット・フォン”
   インテリジェンス・アイ
 渡部昇一 『知っておくべき日本人の底力』、『ドイツ軍参謀本部』、『日本を弑する人々
 中西輝政 『日本の岐路』、『インテリジェンスの20世紀』、『歴史の書き換えが始まった
 山本七平 『日本人を動かす原理』、『私の中の日本軍』、『日本はなぜ敗れるのか
   『山本七平の武田信玄論

 ※『日本主義と東京大学』(保守主義の思想史研究に役立つか)
 ※エドマンド・バーク:保守主義の父。フランス革命に反対し、後のナポレオン戦争の先駆。
  『フランス革命についての省察

 国学の現在
 『日本学協会』(財団法人。雑誌の刊行、研究発表会など)
 皇學館、國學院などの神道系大学、東北大学日本思想史研究室など

 神道(多過ぎて到底書き尽くせないが、一部だけ取り敢えず)
 『伊勢神宮』、『明治神宮』、『靖国神社』、『出雲大社







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山鹿素行
山鹿素行の思想
聖教要録・配所残筆
中朝事実



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