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日本の経済成長と共に、稲作農業が本格的に機械化となったのは、昭和40年代の事です。
耕し用の耕耘機は、昭和15年ころ滝沢農園に導入されました。
このページでは、滝沢農園の昔の農業機械をご紹介します。
昭和15年11月7日 白根町保苅写真館撮影
学生服少年(当時8歳)が、滝沢農園・7代目の父です。その後ろの首に手ぬぐいが、滝沢農園・6代目の祖父です。
笠を持った青年は母の兄で、その右側が滝沢農園・5代目の曾祖父です。
この耕耘機は、滝沢農園と赤塚農園(滝沢農園・6代目の右)で共同購入し、人力作業軽減への大きな第一歩だったようです。
昭和27年の耕耘機
耕耘機競技会に出場した父(当時20歳)です。
昭和27年10月 6代目祖父撮影
右から滝沢農園・7代目父(当時20歳)、父の弟(当時16歳)、
父の妹、左が母です。この時代は、馬がもっぱら主役です。
後ろが
はさ掛け
をした場所です。
当時の品種は、
農林21号
というお米です。
このはさ木は、
タモの木
で、戦国時代に
直江兼続
から給わったと言われており、与板のパンフレットによれば、「越後の国では、
トネリコの木
は生でも良く燃えるので、戦となれば松明として使えるとして奨励したと言われている」との事です。
昭和29年10月 6代目祖父撮影
昭和29年には馬に替わり、写真の
三輪車・クロガネ
が運搬車となりました。当時、農協でさえも車がなく、新飯田で第1号の滝沢農場の自家用車です。
田んぼから運搬し、はさ掛けが終了した様子です。
父は当時22歳、新潟県でも運転免許を持っている人は少なかったようです。
手刈りの当時は、1日3人で手刈りからはさ掛けまで1反が限界だったそうです。
昭和37年9月30日 ヰセキ撮影の色あせたカラー写真です。
ヰセキの
籾摺機
がこの年に登場しました。
滝沢農園で試験実演が行われました。
写真にカメラマンらしき人達がいますが、
この状況を撮影し映画になりました。
祖母とおじさん。
昭和37年9月30日 6代目祖父撮影
父と母
昭和37年9月30日 6代目祖父撮影
写真に米俵が写っています。1俵=60キロ
昭和43年頃、ヰセキの
田植機
が登場しました。
試運転をする父です。
この田植機は2条植えです。
機械植えでの植え具合が納得できず、もう一度手植えをしたそうです。
写真のムコウには、
はさ木
が見えます。この頃はまだ天日干しだったようです。
昭和55年当時の2代目のコンバインです。
2条刈りで、グレンタンクからモミを袋詰めする箇所が4箇所ついています。
当時は最新式のコンバインでしたが
今ではモミを袋詰めにすることもなくなりました。
トウミ
穀物の殻をわける時に使われた道具。
コロ
田植え時、苗を植える位置を決めた道具。
新潟白根の滝沢農園
滝沢直紀
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