石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌命追悼

石井一昌氏と初めて会つたのは平成十五年だつた。だから、考へてみると石井氏との交流は十年未満といふ短い期間である。しかも、それほど親密に交流してゐたといふわけでもない。それでも、石井氏との思ひ出は強く心に残つてゐるので不思議なものだ。

石井氏と初めて出会つたのは僕がまだ大学生のころで、野村秋介氏追悼の「群青忌」のために広島から上京した折だつた。それまでも中西玲子(石井玲子)女史を通じての電話や石井一昌ホームページのフラッシュ作成などでの多少の交流はあつたのだが、面識はなかつた。石井氏は野村氏に対して批判的であつたし、もちろん僕もそのことは石井氏の著書で十分に知つてゐたのだが、それでも僕が「群青忌に行くために上京しました」と言ふと、明らかに冗談だとわかるやうにファイティング・ポーズをとつてパンチを繰り出し「何だと!」と言ふも、険悪な雰囲気になることもなく、その後「まだホテルをとつてゐないのなら事務所に泊つていけ」と言つてくれて、事務所に泊らせていただいた。これが初対面だつたこともあつてか、石井氏は暴れ者だといふのが世の評判ださうだが、僕にはさうは思へなかつた。

その後、僕は大学を卒業して上京し、右翼・民族派運動を始めた。上京後も石井氏との交流は主に中西女史を通じてであつた。右翼・民族派として石井氏と共に活動したといふ記憶はない。しかし、石井氏がプロデュースするイベントで登壇させていただくことはあつたし、集会やイベントなどで一緒になり、終はると食事に誘はれて食事を共にすることもたびたびあつた。それは、石井氏は庶民とともに庶民のための運動を巻き起こすといふ理念から「日本を築く庶民の会」を結成してをり、僕はその会に所属してゐたわけではないのだが、志を同じくする部分があつたからだと思ふ。

また、僕が渋谷駅ハチ公口で浪曼派演説会「まほろば」といふ街頭演説活動を始めた時には、石井氏と中西女史とでふと渋谷に来て顔を出してくれたこともあつた。演説会を始めてまだ二回目だつたので、顔を出してくれて心強かつた。

石井氏の訃報が届く一、二ヶ月ほど前だつたと思ふが、中西女史から石井氏が入院したことは知らされてゐた。しかし、その後は回復に向かつてゐると聞いてゐたやうに思ふ。そのために、訃報を聞いた時には驚いた。

石井一昌命のご冥福をお祈り申し上げる。

 

    がんちゃん 大和国原管理人

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